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« ピアノ | 風花記 »

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ゼロイチ

「うわ……」
驚いて思わず出てしまった声に、七海は慌てて自分の口を塞いだ。施錠されていなかっただけでなく、まさか冥加と出会すとは思っていなかった。いつもは入れないこの屋上の薔薇園を冥加は気に入らずにいる様子だったのだ。
 しかも冥加はただそこにいるだけではない。薔薇の香りと温室のあたたかな日差しの中、目を閉じて無防備に眠っている。ベンチに座っていた体をそのまま横に倒し、冥加は静かな寝息を立てていた。
(部長も居眠りとか…するんだ……)
七海は冥加に驚いて止まっていた足をそっと前へ進め、寝ている冥加の正面へ歩み寄る。
 険しい表情をしていることの多い冥加だが、寝ている顔はあどけなく年相応に見えた。それが七海には新鮮で、心臓が高鳴る。考えてみれば、冥加は自分と二つしか歳の変わらない学生なのだ。勝手にもっと遠い存在として認識していた自分がなんだか馬鹿らしい。
 しばらくその表情を見守っていたが、起こした方がいいのだろうかと七海は腕時計を見た。もうすぐ昼休みは終わる。冥加のカリキュラムを七海は知らないが、このあともきっと忙しいのではないか。しかし忙しい中でもここに冥加がやって来たということは休息のためであろうし、それを邪魔などしたくない。やはりここは起こさずにそっとこの場を離れよう。
(部長がうっかり寝過ごすなんてありえない)
そう思い七海は振り返ると一歩踏み出した。
 しかしその瞬間、背後で冥加の唸る声が聞こえた。七海が冥加を見ると、目を覚ました様子でもなく瞳は閉じられたままだ。たださっきまでとは違い眉間にしわを寄せ、苦しそうな顔をしている。
「部長…?」
七海は不安げにそう声をかける。きっと悪夢を見ているのだ。冥加でも悪夢を見てうなされることがあるのかとまた驚く七海だが、今度こそ起こした方がいいだろうと手を伸ばす。
「先生……」
その寝言に起こそうとしていた手がびくりと止まる。うなされている冥加の発したそれはやはり苦しそうで、七海は冥加の肩に手を置いて揺さぶった。
「部長?大丈夫ですか?」
「…嫌です…先生……嫌…」
冥加は今にも泣きそうな顔になって、七海は必死に冥加に声をかける。
「部長、部長…!」
その声に冥加はハッと目を覚まし勢いよく体を起こした。その途端にきらりと光るものがちょうど冥加の手の甲に落ちる。その雫の正体を七海は知っているが、それでもそれが冥加の目から落ちたことが理解できなかった。
 しかし理解できなかったのは冥加も同じだったようで、つい今しがたまで見ていた冷たい光景と、現在ののどかで暖かな風景、突然現れた驚く顔の七海、そして手に落ちた水滴とが直ちには把握できない。
「あの…先生って、呼んでました…それって」
理事長のことなのか。冥加と天宮が天音の理事長を師事していたことは知っている。けれど詳しいことは全く知らなくて、先程のように冥加が苦しんで涙をふとこぼすほどにつらい経験だったとは七海も思っていなかった。だが冥加は七海のその一言で現在の状況を理解すると、それ以上聞きたくないとばかりに七海の言葉を遮る。
「七海」
鋭い眼光で制されて、七海はそれ以上何も言えなくなってしまう。
「……すみません。…じゃあオレ、失礼します」
そう言い残し、七海は足早に出口へ向かう。だが投げかけた問いが宙ぶらりのままで、胸がもやがかって息苦しかった。
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